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帯ロゴ画像 念願のデビュー編 帯ロゴ画像

●3本目の佳作入選の後、今度は完成原稿ではなく、ネームを描くように指示されました。
この頃の収入源は、フリーの背景マンとしての仕事を取りました。しかし、あまり仕事を取りすぎると漫画を描く時間がなくなってしまう。食べていける最低限の仕事量を決め、月に4万円の仕事を取ることにしました。
家賃は1万3千円、水道、電気のみでガスはなし!! その代わりカセットコンロ買い、主にインスタントラーメンを食べ、命を繋ぎました。しかし、さすがに残り2万7千円では一ヵ月もたない(^^; 漫画の道具も買うし、本も読む。切り詰めるものは食費のみ。
一日一食、腹が減ったら水を飲む。それでも月末にはお金が底をつき、毎月必ず3日は絶食していました(^^; そのときの体重は49キロ。元は58キロだったので簡単に9キロも体重が落ちてしまいました。
そして何本かネームを描いた頃、デビューが近づいて来たと判断した私はアパートを引き払って実家に戻る事にしました。その為、フリーの背景マンとしての仕事もここでピリオドを打ちました。
つまり、仕事から離れてネームに専念しようと言う訳です。実はその頃付き合っていた彼女にフラレまして(^^; 彼女から離れたい気持ちもあっての実家戻りでした。彼女は私のアパートのすぐそばに住んでいたもので……(^^;

●実家に戻った私は、増刊用のネームを描く様に言われ、鬼の様な直しを受けながら1週間に1本の割合で31ページのネームを切りました。 そしてある日、ネームが副編集長の目に止まりました。次の増刊号にやっとOKを貰ったのです(^^)
そして苦労の作品が完成、月刊ジャンプ増刊号にてデビューを飾る事が出来ました。1981年、1月増刊号で念願のデビュー。22歳の時でした。

●私の予定ではこの後、連載が決まり華々しい漫画家生活が始まる予定でしたが……。
しかし現実は厳しく、デビュー作の失敗で、この後ネームを山のように描かされる羽目になりました(T_T)
いつかは連載の夢を見ながらアシスタント、イラストレーターなどの仕事をこなす。イラストの仕事は幸いアニメ背景で培った経験が生き、いつでも注文がありました。
山勝のガンダムやダグラム、ウルトラマンカード、1000年女王のレコードポスターの背景なんてものまでやって、それはそれで結構楽しい時期でもありました。

●はたと気がつくと食べる仕事に追われ、漫画家休業状態。
再び意を決して、イラスト界から全面的に撤退。ネームに全力投球。次のチャンスは何とか物にし、この作品が連載となったのです。
タイトルは「スーパーエンジェル」。しかしあえなく6ヶ月で連載終了。思った通りに描けなかった自分の弱さを思い知りました。

●友人の紹介でH系漫画を描くことに……。
自分では不安があったH系デビューではありましたが、友人いわく「一皮ムケたね(^^)」とのこと。はじめてのネームノーチェックを経験した私は、この時から真剣に創作について考え始めた様にも思います。

●昭和63年、28歳の時、再び少年誌で描くチャンスがやって来ました。
軽い気持ちで描いたアイデアを、月刊少年チャンピオンに持って行ったところ、次のむこうからの連絡は「来月から連載、タイトルは何にするの?」でした。人気もまずまずだった様で、コミックスも4巻発行。
この「ミラクル・ランジェリー」の連載中に、講談社のボンボンでも連載を開始。後にボンボンの仕事のウエートが大きくなり、現在はボンボンで主な仕事をしています。

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